はじめに
ヨーロッパの歴史のなかで、スカンジナビア半島のバイキング集団が果たす役割が意外と大きいことを知ったのは、スエーデン系アメリカ人の友人が得意げに話す内容からでした。
彼の話すところでは、バイキングの集団が、はるかイスタンブールまで侵攻した時があるとのことで、本当にそんな出来事があったのか、実際の歴史をインターネットで検索して調べてみました。
バイキングとは
8世紀後半、今のデンマーク・スエーデン・ノルウェーなど北欧の農村の人口が増加するとともに、物資の獲得の必要に迫られ、外部に膨張しようとする作用で、南部の国々との交易や、時には各地を襲撃して物資を調達するようになった。これら三地域の集団をバイキングと呼ぶ。
これらの地方の荒くれ者の中でも、もっとも勇敢、凶暴だったのが、ノルウェー人と言われている。ノルウェー地方はキリスト教の布教が遅く、当時はいわゆる異教徒の集団でした。
彼らの武器は巨大な斧で、向かうところ敵なしの破壊力であったと言う。
また、スカンジナビア人は高い航海技術を持ち、船の製造能力に優れ、ロングシップと呼ばれる細長い船を建造した。
その構造は、キール(竜骨)を基礎に外板材を鎧のように重ねて貼り付けて頑丈な作りとし、船体が細長く、喫水が1m程度と極めて浅いため高速で航行でき、機動性が高く、浅瀬や川を素早く動くことが出来た。
また、船の前後の形状が対称形となっており、合理的と言うか機能的な設計となっています。
このロングシップを操って、8世紀後半から11世紀まで、300年近くに亘ってイングランドから大陸、果ては地中海沿岸まで、或る時は交易、或る時は略奪と、縦横無尽に活躍したのでした。
バイキングの侵攻の歴史
このロングシップを操って、南の方に侵攻したバイキングの主な歴史を辿ってみましょう。
イングランド方面への侵入
バイキング時代の幕開けは、西暦793年、イングランド北東部のリンデスファーンと言うキリスト教域を襲撃したことに始まる。
その後数十年で、アイルランドに拠点を築き、イングランド北東部に進出して植民地を築いた。
イングランド北東部の「エボラクム」と呼ばれた、ローマ時代の古い要塞がバイキングの拠点となったが、エボラクムのことをバイキングは「ヨルビック」と呼んだ。
この地域がやがて英語で「YORK」と呼ばれ。新大陸アメリカで新しいヨークと名付けたのが、今の「NEW YORK]の由来です。
東方のロシアへの進出
スカンジナビア半島から東方に進出し、今のロシアからベラルーシに掛けての地域に交易の拠店を設けた。
ボルガ川やドニエプル川を航行して、カスピ海に至り、中東のバグダッド(現在のイラクの中心)との交易までおこなったとの事です。
バイキングが名付けたこの東方地域の呼び名が「ルーシ」であり、現在の「ロシア」の語源となった。
また、「ベラルーシ」と言う国名も、多分そのあたりの名残ではと思われます。
南方への侵略
現在のフランスを中心とした、巨大なフランク王国が、814年カール大帝の死後、急速に分裂し、弱体化するとともに、バイキングはフランスへの侵略を開始した。
フランスに拠点を固めたあと、9世紀半ばにはいよいよ地中海に向けて南下を開始したのである。
特にフランスの現在「ノルマンディー」と呼ばれる地方に定住したバイキングは、キリスト教とフランス語を取り入れてノルマン人となり、フランスに同化するとともに、その勇敢さと戦闘力は衰えず、地中海侵攻の中心となった。
地中海沿岸への侵略
地中海へは当時イスラム教国の「ウマイヤ朝」が支配するイベリア半島から、ジブラルタル海峡を通過して進出しています。
北アフリカ、南仏を侵略し、860年には繁栄を極めていたイタリア北東部の都市「ルーニ」を陥れたと言われています。
イスタンブールとバイキング
では、冒頭の友人が述べた、「イスタンブールまで侵攻した。」と言う史実はどうでしょうか。
調べた範囲では、9世紀当時ビザンチン帝国の首都であったコンスタンティノープル(イスタンブールの古い呼称)の近郊の「パトネア」と言う港町に、バイキング集団が住んでいた遺跡が発見されています。
この遺跡は、バイキングとビザンチン帝国の数度の戦いの後、平和協定が結ばれ、その後バイキング集団がビザンチン帝国に雇われる傭兵集団となって、この地域に定住した痕跡とのことです。
このパトネアでのバイキング集団の傭兵としての定住は、11世紀にイングランド地方からノルマン人の侵攻により逃れて来た、アングロサクソン人が傭兵に替わるまで続きました。
と言うことは、200年余りのあいだ、この地域に傭兵集団として根を張っていたことになります。
結び
以上、筆者が調べた範囲では、バイキングがイスタンブールを攻め落とした、と言う友人の話はともかくとして、バイキング集団が地中海の奥部まで浸透していたことが判り、中世と言うどちらかと言うと暗いイメージの時代にも、改めて躍動的なヨーロッパ史の片隅を発見した思いです。
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